学会公告

郭沫若について

郭 沫若(かく まつじゃく)は、中国の政治家・文学者・考古学者・歴史学者。中国の近代文学・歴史学の開拓者の一人。原名は郭開貞で、開貞は諱、沫若は号にあたる。字は「鼎堂」。執筆時に用いた筆名は多く、高汝鴻・麦克昂・易坎人・杜頑庶・杜衎などである。 1892(明治25)年11月16日~1978(昭和53)年6月12日。成都の中学校で学んだ後、1914(大正3)年に来日。第一高等学校の中国人留学生のための予科などで学んだ後、第六高等学校へ入学。1920(大正9)年宗白華、田寿昌との往復書簡を『三葉集』として刊行。翌年、第一詩集『女神』を刊行。1923(大正12)年帰国、翌年国民革命軍に参加する。1928(昭和3)年、日本に亡命し内山完造の紹介で千葉県市川市に住む。日中戦争がおこると帰国し、国民党政府で文化政策に従事。中華人民共和国成立後、政務院副総理となり科学院長を兼ねる。主な著作に『日本亡命記』(法政大学出版局 1974年)、『郭沫若自伝』(平凡社 1968年)、『我が思出』(聖光社 1947年)、『中国古代の思想家たち』(岩波書店 1962年)が、また『郭沫若選集』(雄渾社 1983年)、『桜花書簡 中国人留学生が見た大正時代』(東京図書出版会 2005年)がある。岡山市の岡山朝日高等学校内六高記念館脇及び後楽園内に詩碑がある。
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